肥前国佐賀藩第十代藩主 鍋島直正公

鍋島 直正(なべしま なおまさ)は、江戸時代末期の大名。第10代肥前国佐賀藩主。9代藩主・鍋島斉直の十七男。母は池田治道の娘。正室は徳川家斉の十八女・盛姫(孝盛院)、継室は徳川斉匡の十九女・筆姫。明治維新以前の名乗りは斉正(なりまさ)。号は閑叟(かんそう)。「佐賀の七賢人」の一人。

鍋島直正公も、肥前のタイ捨流を学んでいた一人である。

鍋島直正公傳より

「山領主馬利昌は…有職故実及び和歌に達し、又タイ捨流の奥義に練達し…其子の圓左衛門真武は閑叟公(鍋島直正公)の剣術師範となれり…タイ捨流の剣術、姉川流の槍術は佐嘉の特流なり」

「剣術は藩の特色たるタイ捨流(タイの字は奥義相伝といふ)を山領圓左衛門真武に学ばる。真武の父主馬利昌は梅山と號し、有職故実の学に併せて剣術に達し、泰國公(※治茂公)に任用せられ、剣術道場を開いて門弟に教習せしものなり。體貌魁偉、人皆望み見て畏るゝ風姿を具へたり…」

鍋島直正公傳